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「オレ様とプリンセス」    Written by; Tamaco Akitsushima

                   10 とんだ結末。

 翌朝。
彼女が目覚めると、ベッドに もう彼は居なかった。両手をシーツについて上体を起こし、
キョロキョロと辺りを見回すと、ネクタイ姿の彼は PCデスクでイスにもたれて脚を組み、
画面を眺めていた。
眼鏡姿の横顔は 完全に他の者を寄せ付けないようなビジネスライクな眼差しで、ゆうの
ほうを見ない。
「───…今、7時45分。」
「 ! 」
画面に視線を向けたままの無表情は、前ぶれもなく 事務的にそう短く告げた。
「おっ、おはよう、」
彼女は慌てて その場に正座する。はだけかけている胸を うろたえながら直す。彼の視線
が チラリとこちらを流し見ただけで、射抜かれたように ゆうは真っ赤になった。
「あと15分で出られるように 支度しろ。」
彼は時折 マウスを操作しながら、やはり無機質にそう命令した。

 今日でお別れ。今度こそ お別れ。
「─────…ミ、ミヤビ」
不安になり、ゆうは 彼の名を呼んでみる。昨夜の事は幻だったのかと疑いたくなる。
それほど、今 デスクに向かっている彼は 冷たく隙がない。
「………ミヤP、」
今度は 視線だけをこちらに向けられ、睨まれた。
それから その視線は再び画面に戻る。
「…ほら、もう47分。あと13分しかないぞ。それ以上は待たないからな」
「は、はいっ」
ゆうは 慌ててベッドから飛び出ると、カウチの辺りに置いてあった自らの衣服を手に取っ
た。
「ち、ちょっと 向こう向いててよっ、」
「─────…誰も見てない」
「でも 向こう向いてて!」
「じゃあお前が あっちの脱衣所へ行け」
相変わらず彼は ひどく冷たくて。機械的で。
最後の、2人で過ごすひとときなのに あんまりだ、と肩をしゅんと落としながら ゆうはバス
ルームの手前の脱衣所へと向かった。

 昨日の朝と同じように、彼のマイカーで 事務所まで送ってもらう事になっていた。
 「───…じゃあ…お世話になりました」
最後に お別れのキスをして欲しかったけれど、今日の彼は 昨日以上に取り付くしまが
なくて、ゆうは口に出す勇気も きっかけも逃してしまった。
先に靴を履いて 玄関口のドアを押し開いた雅臣は、その背でドアを押さえたまま 腕組み
をしている。
うつむいたゆうは ミュールに足を入れた。
「……………、───…あれ………?」
「─────…。どうした、早くしろ」
「あ、足が………」
「何だ」
「足がね、床に…」
言い終わらないうちに、雅臣が大きく ため息をつく。腕組みしたままの無表情は、その
先に続く言葉を奪い取った。
「床にくっついて 離れなくなったのか。」
ゆうは すごすごと彼を見上げる。
「……………うん」
次に落ちてくる言葉など、彼女でなくても 容易に想像がついた。
「いい加減にしろ、さっさと来い」
怒鳴りたいところを 寸でのところで耐えて、彼は低く 声を押し殺す。
けれどもゆうは なかなかその場を動こうとしない。
「じょ、冗談だと思ってるかも知れないけど…っ、ほ、ホントに 足が張り付いちゃって動け
ないんだよ ?! ホントだよ?ミヤビっ、」
「……………………。」
彼は 全く表情を変えず、冷たく彼女を見詰め返した。今も 腕組みを崩さない。
その威圧的な態度と眼差しに、彼女は ますます余裕を失くす。
「早くしてもらえないか」
「だって…っ、動けないもんっ、」
隣りの部屋の住民が、廊下へ出てきて チラリと雅臣のほうを見、何でもないように すぐに
エレベーターホールへと離れていった。
 それから 5分。
雅臣にしたら、10分どころか 20分にも感じられる 苦痛と忍耐の時間だった。
「ふざけるのもいい加減にしろよ、オレが いつまでも甘い顔してると思うな」
「ホントだもん…っ!足が動かないの…っ、上がらないもん…っ、」
ゆうは青ざめていた。
膝は先ほどから小刻みに震え、余裕を失くした瞳は 困惑にせわしなく揺れている。
さすがの彼も その様子に尋常ではない何かを感じ、眉をひそめる。
「…お前、昨日の水族館のも 嘘じゃなかったのか」
「嘘なんかつかないっ !! ホ、ホントに足っ、はりついてる…っ、」
彼女はそれでも 壁に手を突き、前に一歩を踏み出そうと踏ん張った。額やこめかみには
油汗が浮いている。
「 ッ !! 」
やっとの思いで、棒切れみたいな脚を 無理やり前に出すと、膝は錆付いたみたいに 全く
曲がってはくれず、バランスを崩して 前のめりに崩れた。
「……………っ、」
寸でのところを、雅臣の腕が 抱き留める。
「───…こ、怖いよ…っ、外に出るのが 怖いの…っ、」
泣き出しそうな瞳は、訴えるように彼の腕をぎゅっと掴んで そう告げた。
「 ?! 」

 それから更に 数十分。───…もう雅臣は 出社時刻に間に合わない。遅刻が決定
した。
昨日のように そのまま膝から抱かかえて部屋の外の廊下で降ろしても、ゆうの脚は ガタ
ガタと震え出し、全く力が入らない。彼女自身も、必死で踏ん張ろうとするのに、どうあが
いても 無理だった。
演技には見えない。彼女の唇までもが、この事態に わなないている。
「ご、ごめんなさい、…ごめんなさい どうしよう、」
先ほどから そればかりを繰り返してうろたえている 女の子。
目尻には 涙が溜まっていた。
また、少し離れた 別の扉が開き、外出する居住者が 姿を見せる。雅臣は 住民から
彼女の姿を慌てて隠さなければならず、咄嗟に 再び抱きかかえて、また玄関口へと
逆戻りしてしまった。
舌打ちしながらケータイを取り出し、遅刻の旨を 上司のカスミに伝えると、また苛立ちも
そのままに ポケットにケータイを押し込んだ。
「───…ゆう。」
「はいっ、」
低く名前を呼ばれただけで、彼女は直立で 腕をまっすぐ下へ伸ばし、背筋を正して気を
つけの姿勢をした。泣き出しそうなのを堪えている顔に 余裕など微塵も感じられない。
「………現実から逃げるな、もう いい加減 腹をくくれ。これで最後だ。…自分の脚で
ちゃんと ここを出て行くんだ、甘えるな。これで出て行かなかったら…オレは昨日みたいに
お前を抱えて 無理やり車に乗せて───…、お前の事務所まで お前を連れて行く。
…お前が どれだけ泣いても、どうしても。」
ゆうは ガチガチと唇を小刻みに震わせていた。けれども雅臣は それを無視する。
「…わ、分かった…、」
うなずくと、彼女は 彼の隣りで、ドアノブに手を伸ばした。もう片方の手を壁に掛ける。
そうして動かない、持ち上がらない脚を 一歩前へ。
「─────…ッ !!」
やっぱり無理だった。
派手な音が 玄関口に響く。
彼女はその場に 膝と両手を突いたまま、顔を上げず 肩を大きく震わせた。髪がバサリと
肩から落ちてしまったせいで、隣りに立ってその様子を見下ろしている彼からは ゆうの顔
は見えなかったけれど、大粒の涙が 頬を伝っているだろう事は想像できる。
堰を切ったように 嗚咽は漏れ出し、この玄関の閉められているドアに 反響した。
「─────…っ…ご、ごめん…っ、ごめん、なさい…っ、───…っで、でも…っ、」
必死で言い訳をしようとしても、彼女はうまくしゃべれない。彼は無言だった。そのまま腕
組みしたままの姿勢で 壁にもたれている。
どうしたものかと 彼は1分ほど思案した。
腕時計に目をやる。
ダメだ、こんな事して遊んでいる時間は さすがにもうない。タイムリミットを とっくに過ぎて
いる。東京証券取引所のオープニングタイムは 目の前に迫っている。
雅臣は ゆうのみぞおちを両手で抱えた。躊躇せず、床にうずくまっている身体を 引き
上げる。
「───…っ、………、」
触れたそこは とんでもなく熱くて、その上 震えは極限に達していた。
頬から顎を伝って ポタポタと涙は流れ落ちている。
このまま彼女を抱えて、事務所の担当者に引き渡してしまおう。そうしなければ。こんな
事はもう、お終いにしなければ。
「…行くぞ」
ゆうも全く 抵抗しなかった。しゃくりあげながらも、無言だった。
「─────………、」
ふいに、彼女のお腹が 音を立てた。
「 ! 」
間の抜けた音。間の抜けたタイミング。
彼女の顔を思わず覗き込めば、涙の溢れている瞳は 大きく見開かれたまま、その頬は
みるみる真っ赤にそまってゆく。
「───…ごっ…、ごめんなさい…っ、だって…っ、お、お腹すいてて…っ、なのに思い切り
押えるんだもん…っ、胃のとこ…っ、」
先ほどまでの深刻さも どこへやら。彼女は しどろもどろに必死で訴える。
溢れ出して止まらなくなっていた涙も、にわかに ストップした。
「…っ、ミヤビ………っ、」
真っ赤なウサギの目をして。首筋までもが 赤く染まっている。
「───…もうっ!」
彼は今も 彼女のみぞおちを背後から抱きかかえたまま、思わず 小柄な目の前の肩口に
顔をうずめ、耐え切れず 笑いを噛み殺してしまっていた。
身動ぎ、後ろを振り返ろうとしてくる、腕の中の少女。とんでもなく熱い、赤ちゃんみたいな
身体。
「何よ…っ、あたし 真剣なのに…っ、」
何だか一気に 気抜けしてしまって。
「マ、マジで泣いてたのに…っ、どうしようって すっごく困ってたのに…ッ!」
笑うことないでしょぉ、と しきりに訴えてくる彼女。
彼はとうとう 声を立てて笑ってしまった。まだ肩は震えている。
壁にもたれ、笑い続ける。こめかみや眉間が痛んでしまって、思わず押さえなければ なら
ないほどだった。
「───…フ…、ッハハ…、」
「ミヤビ…ッ !!」
彼女を抱かかえたまま、その場へ座り込む。ゆうの身体も引っ張られて、結局 その場に
沈み込んだ。それでもまだ 笑えて仕方がない。後から 後から 笑いが込み上げてしまっ
て。こうしてる間も、捕まったネコみたいに まだ彼の膝の上、みぞおちを離してもらえず
ジタバタもがいている彼女。
「………あぁ…、もう、お前、」
「何よぉ、」
「───…もういい、しばらく置いてやる」
「えっ ?!」
ミヤビは まだ笑いの余韻を残したまま、すぐ傍で自分を見上げてくる女の子を流し見た。
ぱちくりと開いた瞳を 何度も瞬きしている。…もう、それだけで また笑えてしまうところだっ
た。
「………置いてやる、ここに。」
「えっ…、」
「…もう脚、普通に動くんだろ…?」
「え、あれっ ?! …ホントだ!」
「立てるか」
雅臣が手を離すと、彼女は その場に立ち上がり、スカートをはたいた。
「…うん、立てた…、ホントだ…おかしいな、…嘘みたいっ、ここでなら 自由に脚も動か
せる…!」
「───…おそらく 心理的なもんだろう」
「えっ…、そうなの… ?!」
「それ以外には考え付かない。…要因は…ストーカーと 事務所の社長か…」
「ミヤビ…、」
彼のつぶやきの意図が測れず、ゆうはまた 瞳を不安げに揺らす。
彼も腰を上げ、軽くスーツの足元をはたいた。そして どこか一点を見詰めると、彼自身に
言い聞かせるように言う。
「よし。…ストーカー野郎のほうは 近々何とかするとして──…今日、お前には一つ。」
「えっ…何?」
雅臣は 用事を言いつけた。
「事務所には電話を入れておけ。オレの電話機から掛けろ。IP電話になってる。セキュリ
ティのために 所在地が判らないようにしてある。社長と掛け合え。もう金輪際 おかしな
マネはするなと。でなかったら 戻らないと。…間違っても こっちの連絡先を言うなよ」
「───…うんっ、判った…」
「それから、」
「うんっ、」
雅臣は すぐ傍の彼女に視線を落とす。
「───…部屋のそうじをしておけ。ちゃんと手を抜かずに 隅々まで綺麗にしろ」
「わ、判ったっ」
妙にハリのある彼女の 真剣な返事の仕方に、彼は フ、と表情を緩める。その微笑みに
彼女は 釘付けになってしまった。
また頬を朱に染める そんな少女の頭に、彼は手を置いて。ポンポンと 軽く叩いたあと、
くしゃくしゃに髪を掻き撫でた。
柔らかで砂糖菓子みたいな 髪質。
─────全く 世話の焼ける子ネコ。
そっと引き寄せて、額に 唇で触れる。
なぜ そうしたのか、雅臣にも分からなかった。
「…じゃあ オレは仕事に行くから、一人でメシでも食え。さっき言った2つは ちゃんと終わ
らせておけよ」
「ま、待ってっ!」
「何だ、」
彼女の手は、彼のジャケットの裾を ぎゅっと握っている。
「…キ、キスして欲しいっ、…ちゃんとっ!こっ、恋人みたいなのっ」
彼の眉が ピクリと上がる。
怒鳴られる、そう思って 肩をすくめた瞬間、彼は思わせぶりに また吹き出していた。
「───…な、何っ ?! あたし そんなにヘンな事言ったっ… ?!」
ゆうは そんな彼の、知り合って以来 今朝ようやく初めて目にした笑顔の連打にドキドキ
していた。…微笑うと なんて印象が違うんだろう。夏の日差しみたい。彼女の知らなかっ
た彼。
「………いや、お前にじゃなくて。…自分に笑えてしまった」
彼はまだ 苦笑しながら、メガネを外さずに 人差し指で目尻を拭った。
「…全く どうしてしまったんだろうな、昨日から。…お前に 調子を狂わされっぱなしだ。
───…このオレが。」
言い様、彼の手は 彼女の腰を強く引き寄せると身を屈め、奪うように コンマ一秒のキス
をして。何も言わず、そのまま ドアの向こうへ消えた。
「……………………、」
ゆうはしばらく その場に佇んだまま、ドアの向こうに もう見えるはずもない彼を じっと目で
追った。
彼の姿が見えなくなった後のほうが、彼女の胸は どうしようもなくドキドキと音を立てた。


 外は、憎らしいほどの快晴だった。
タクシーを止め、乗り込むと同時に 後部座席のシートにもたれ、ケータイ画面で 株価の
チェックを始める。
迷いネコ。
自分の意志で、もうしばらく飼い続ける事になってしまった ゆう。
自分を苛立たせ、ペースを乱し、仕事にまで支障をきたす トラブルメーカー。
幼すぎる彼女。…恋愛対象にすら ならない少女。
─────けれど彼は 近い未来、どうしようもない自分の想いに 気付かされるハメに
なる。
そして、彼自身にとって彼女が どれほど愛しい存在であるかを。
けれども 今の彼はそんな事、知る由もない。
流れゆく車窓の風景。東京のオフィス街。今はただ、昨日と今朝の仕事の遅れを 取り
戻さねば。
彼は気持ちを 今日のトレーディングへと切り替えた。




                 ───── オレ様とプリンセス・終 ─────
・あとがき。                                秋津島 珠子
キリ番を取ってくださいました川原 雅様。いつもありがとうございます。メール全て有り難く
拝見いたしております。
感謝を込めて、拙いながらもこの物語を捧げます。お気に召していただけるかどうか、不安
ではありますが、どうかどうかご容赦くださいませ。

 このお話は漠然とストーリーが決まっていますが、かなり長いです。この先楽しんで頂ける
のかも心配ですけれども、最後まで書きたいと思います。またも芸能界モノでごめんなさい、
これしか書けないのかと問われそう。(そうなのかも知れないです、というか他の職業というの
が難しいのです。高校卒業と同時に裏方として業界の端っこであくせく働いていたのですね)
実は普通の企業が一体どんな雰囲気でシステムがどうなっているのかなどドラマの中でしか
知りえません。そのため書いていても間違ってやしないかと不安で一杯です。ようやっと最近
就いた仕事が、デスクワークも一部ありまして、今ではPCに向かう事もあります。先日PC
検定も受けました。)

 それにしても、私のような内気な性格の人間がオフィスワークをせずに今日まで来ていると
いうのも考えてみれば何だか不思議。人生とはどうなるか分からないものです。
4月ですね。新生活をスタートされたかたや引越しされたかたなども多いのでは?と思いま
す。学生の頃、4月はつらい時期でした。友達を作るのが下手だし、緊張するし、一日が
終わるとほうーとため息をついていました。
どうぞ、あなたの未来に、素敵な出会いがたくさんあります事を。かけがえのないお友達や
学びのきっかけになるような存在が現れます事を。もっともっと楽しい事が起こります事を。
 やっとこの年になって、4月になってもさほど緊張してばかりではなく街路樹の芽が吹いて
きた事にも心暖かく気付けるようになった私なのです。
いつも感謝を込めてあなたへ。                        たまこ

「オレ様とプリンセス」−10    Written by; Tamaco Akitsushima