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「オレ様とプリンセス」    Written by; Tamaco Akitsushima

                 3  真夜中の来訪者。

 真夜中過ぎの、インターフォンのベル。
帰宅して、今日のTVのビジネス特集番組を ざっとチェックし終え、シャワーの後、一人
氷の入ったグラスを手に、コンピュータ画面で NY株式市場の動きをチェックしていたら、
突然の来訪者。
部屋のモニターからは、一階エントランスに訪れた人物の映像が見える。
「 ?! 」
リリカだった。
うつむいているけれど、間違いない。
「………どうした?」
オレは極力、感情を押し殺した無機質な声で 部屋から階下に佇む彼女に向かって
質問する。
彼女は 震えるような小声で、「………ごめんなさい………」 とだけ、つぶやいた。
顔は上げない。
どうやら 傘を持ってないのか、髪は濡れて 肩に張り付いている。

先日の彼女とは別人にしか見えないほど、暗い。そして覇気がない。
オレとした事が、なぜだか この夜、彼女を再び 部屋に通してしまった。
もしかして、今日の仕事が上手くいってなければ。いつもより早く帰宅できて、穏やかな
気分でなければ。─────彼女が 雨に濡れてなければ。
………多分、オレは 別の行動を取っていただろう。

 間近に見て、彼女のひどい服装に 目を疑う。
やはり彼女は ひどく疲れていて、力のない瞳を のろのろと上げると、オレを見た。
「……………ッ、」
その大きな瞳から、にわかに溢れ出す涙に、オレが戸惑うよりも早く、彼女のほうが慌て
た。
エントランスに 靴も脱がずにしゃがみ込み、酷い顔を 膝に埋めて隠す。
よく見れば、白いコットンの 少女じみたロングスカートも、ドロに汚れて変色している。
「どこにも行くところが無くて…ごめんなさい、本当に ごめんなさい…」
彼女の声は くぐもっていた。
「…とにかく立てよ、」
事情を聞くよりも先に、濡れて冷えた身体を どうにかしないと。きっと このままでは風邪を
こじらせてしまう。そんな考えが走って、またも やや乱暴に彼女の腕を掴んで起こす。
「風呂入って来い、こっちの左側のドアだから」
「 ?! いいの…?上がっても」
リリカの顔は、目の周りの化粧がはげて、涙と混ざって ドロを付けたような状態だった。
『上がってもいいの?』 なんて、この前とは うって変わってえらく殊勝だな、と 軽口を叩い
てやりたかったが、今の彼女は とてもそんな雰囲気ではない。
オレは 出来るだけ静かに、そして穏やかに告げた。
「…洗濯機の使い方 分かるか?」
「………、分かんない………」
ヒールの低くて少女趣味な、元はおそらく 淡いピンク色だった筈の、今はドロ色した靴。
それを脱いだリリカの背を押し、オレは バスルームのドアを開けてやった。
バスルームの手前は 大きめのドレッサーになっていて、その隣りに 乾燥機付きの外国製
洗濯機が備え付けてある。
オレは簡単に操作方法を伝え、彼女の背中を 更に更衣用のスペースへと押し込んだ。
「髪、ちゃんと乾かせよ」
そう、視界から消えた少女に向かって言い、コンソールの引き出しから オレのバスローブと
その上にドライヤーを載せて、目に留まる台の上に置いた。
リリカは泣いているのか、それ以上 何も言わなかった。

 「………ありがとうございました」
コンピュータ画面に見入っていたオレから 少し離れたところで、そう声がした。
「あ、あぁ…、気付かなかった、」
オレは、心もとない表情で突っ立っているバスローブ姿を見上げ、「まぁ座れ」 と、先日の
ソファを指差した。そして再び、液晶画面に視線を落とす。
「洗濯機の使い方 分かったか?リリカ」
何気にオレは 彼女の名を呼び、その事に 彼女が僅かに目を見開いたのにさえ、気付か
なかった。
「…本当にありがとう…。この前より優しい…」
ソファに腰を降ろしても、まだ浮かない表情で うつむき気味の彼女の横顔。男物のバス
ローブは 彼女には大きすぎて、袖も長すぎて。まるで幼い子供のよう。
オレは立ち上がり、冷蔵庫に向かった。
「何か飲むか?」
「……………………、」
「…て言っても、たいしたもんが無いけどな。」
「…じゃあ、ホットミルク。」
オレは呆れた。そして 牛乳パックを冷蔵庫から取り出すと、シンクの脇に わざとガタリと
音を立てて置いた。
「自分で勝手に作れ。」
そして 自分の分の炭酸だけを手に、戻ってくる。
「…今日は出て行け、って言わないの…?」
遠慮がちな声は、弱々しくて、注意をそちらに向けていないと 聞き取れない。
「─────…。お前が、オレを逆撫でするような事を したり言ったりしなければな。」
じっと こちらを見てくる少女は、まるで もぎたての白桃のように 白くて繊細な肌を持って
いて、生まれたてのように透明だった。
メイクを落とした彼女のほうが、より一層 人間じゃないみたいに、羽根のような印象を
与える。
「………余計な事、言わない。だから…、追い出さないで………」
…今更、何を言ってるんだ。追い出すつもりなら、初めから このタワーマンションのエント
ランスを軽々しく通してなどいない。
オレが 何も言わないでいたら、彼女は余計に 瞳を揺らした。真剣な眼差しで告げる。
「お願いします、あたしの事、かくまって…。」

 「かくまう ?!」
それじゃ まるで、何者かから 追われているみたいだ。
オレの表情を読んだ彼女は、オレが不機嫌になるのを 危惧したのだろうか。
「ホ、ホントなの…!あたし追われてるの!」
そう早口で付け足した。
彼女のセリフは、まるで 作り事の思い付きだ。
けれど、からかうような雰囲気を、まるで纏っていない。そればかりか、痛いぐらいに真摯な
瞳。
「………誰から?殺し屋にでも狙われてるのか」
オレのセリフは、多分 意地悪く聞こえた。
「─────………。」
「また この前の男か。」
「……………………、」
ダメだった。
うつむいている彼女の 両の目からは、とうとう 溢れた涙が堰を切ってしまい、彼女は膝
立ててソファに小さくなると、肩を震わせ始めた。
静寂の中に、嗚咽だけが妙に響いて、居心地が悪くなる。
どうしていいものか、オレも困って、とりあえず、BGMを掛けた。
彼女の押し殺した泣き声が、軽いジャズのサックスに混じって、オレの耳に届く頃には、
多少は薄らいだ。

 「………ほら、」
どれくらい、泣いていたんだろう。数十分後、オレはもう コンピュータの電源ををOFFに
して、彼女の、顔をうずめている膝頭の辺りに、マグカップを差し出した。
まだ涙にまつ毛を濡らしたまま ようやく顔を上げた彼女は、オレを驚いた瞳で見上げると、
ニ、三度瞬きした。
「 ?! 」
オレも怪訝に思い 彼女を見下ろす。
小さな細い指は 両手でマグを受け取りながら、尚も無言で オレを見てきた。
「……………、」
涙の溜まっている潤んだ瞳で、じっと見上げられる、という経験は、ほとんど無い。
ワケも無く、肩に力が入るのが判った。
彼女は綺麗だ。
あの 一度目の出会い以来、街で彼女のポスターを見かけたり、TVのCMの中にも同じ
顔した美少女の瞳を見つけた。
…だけど、今ここに居るこいつのほうが、数段、揺さぶられる。───…大の大人を引き
込まずには居ないほど。
─────柄にもなく、時の流れを忘れたオレは、1秒後 我に帰り、軽く 頭を左右に
振った。
先に目を逸らしたのは、彼女のほうだ。
彼女もまた 我に帰ると、バツが悪そうに、背けた頬を赤くしている。
「……………………。ちょっと ビックリした…こーゆー風に優しくしてくれる人だなんて
思ってなかったから…」
そんな、蚊の鳴くような呟きに、やや呆れた。
何を考えているんだろう。10ほども歳の離れた女の思考なんて、まったく解からない。
オレは少し離れたデスクに脚を組み、彼女が落ち着くのを待った。
頬杖を突いて眺める。
濡れたまつ毛が、両手で マグカップの湯気を覚ましながら、ミルクを飲んでいる。
オレの洗いざらしの白いバスローブは 彼女には大きすぎて、片方の肩が抜けて落ちそうに
なっていた。そこから覗く、華奢な鎖骨。泣いてたせいか、首筋は上気して 赤く染まって
いた。ソファの上に膝立てて座る足の先も 小さくて。まるでオレは、捨てられて夜中に迷い
込んできたノラネコに ミルクをやっている…そんな気分になっていた。
ねずみ色したノラネコは、汚れが落ちると 意外にも血統書つきの純白ネコでした、的な
オチ。
「─────………。」
オレは知らない間に、メガネごしの目で 彼女を凝視していたらしい。
「な、なに?」
彼女がまた、頬を染めて視線を逸らす。
「………それ飲んだら、もう寝るぞ。そっちの部屋の灯かり 消せよ」
「…あ、あたしは ここで寝たらいい…?」
─────呆れる。
この前は オレの許可も得ずに、ベッドを占領したクセに。
「…別に。そこでも 向こうのベッドでも。」
お前、ホントに この前のあいつと同一人物か ?! と言い返してやろうかと思ったが、やめて
おいた。

 「おいこら、くっつくな」
メガネをベッドサイドに置き、灯かりを落とすと、背後に居る彼女が オレに腕を回して 抱き
ついてきた。オレの上半身には何も身につけてないから、直接 肌に彼女の手が当たる。
また泣かれたらたまらないから、出来るだけ感情を抑えて、回された手を制する。
けれど 彼女の額は、オレの背に当たっていた。
「離れろ、」
オレは 仕方なく上体を浮かせ、彼女のほうを向き直ると、両手首を 彼女に返した。
「……………、」
「─────………。」
まるで、いきなり見知らぬ幼児の面倒を 誰かに押し付けられたみたいな状況。対処に
困る。
オレは再び、彼女に背を向けて 枕に頭を沈める。…夜の帳が 部屋の中にも下りてきて
いた。
彼女の腕は、再び オレの背中に触れてくる。小さな子供が、ぬいぐるみの端を掴んで
いないと眠れないように、彼女はオレを ぬいぐるみ代わりにしたいんだろうか。そうしないと、
眠れない…?いや、そんな事はないはずだ。だって この前は、この大き目なベッドの端と
端、これ以上ないほど離れて眠った。
「やめろ、」
オレは少し 声のトーンを下げた。
それでも彼女は オレから離れない。
「やめてくれ」
「………ねェ…あたしまだ、名前 教えてもらってないよ…、」
「……………、」
本当に。何を考えてるのか判らない。
「お前は?名乗りもしないで、人に名前を訊くのか。失礼な奴だな」
「………さっきあたしの事、『リリカ』 って呼んだじゃない」
「─────…。」
覚えてなかった。
「…違うのか?リリカだろ?」
ため息混じりに、背を向けたまま オレは答える。早く眠りたかった。
「───…相澤 右生(あいざわ ゆう)。『リリカ』 は芸名」
「……………………。」
「あなたは…?」
オレは観念して返事した。
「オレは川原 雅臣。」
「───…いくつ…?」
「 27 」
「とお以上、上なんだ…」
「─────…」
オレは ポツリポツリと背中に響いてくるか細い声を耳にしながら、夜の静けさを より一層
感じていた。
「…あたし お礼出来るもの、何もないから………、」
「別にいらない。」
「………別に、いいよ…?」
「 ?! 」
オレは今度こそ、怪訝な眉に 思い切り皺を寄せた。
─────別にいいよ… ?! 何だ 今のセリフは… ?!
聞こえなかったフリをして もうそれ以上、何も言わずにいる。…そうしていると、リリカが
僅かに身を起こし、オレの頬に、遠慮がちに触れてきた。
唇が、そこに そっと触れてくる。
何だか 震えているようにも思える。
遠慮がちな、指先。慣れない仕草。
「もういいから!寝ろって!」
とうとう 苛立ったように声を荒げてしまった。
「……………ッ、」
身を硬くした彼女は、次の瞬間、またも泣き崩れそうな瞳を グラリ、と歪ませた。
「だって………っ、」
だってもクソもあるか。
オレは 今夜も結局、彼女を部屋に入れた事に後悔していた。
結局、オレは腕の中に、熱く震える薄い肩を 抱かなければならないハメになった。
涙が オレの胸を濡らす。
バズローブの背を何度か なるべく優しく なだめるように撫でてやる。
………彼女が 静かな寝息を立て始めるまで、オレは 眠る事など出来なかった。
やがて、伏せられたまつ毛は もう、動かなくなった。


 「─────………。」
朝。カーテンを通り抜けた太陽光が、部屋を 白く透かして。
オレはにわかに 昨夜の出来事を思い出せず、腕の中にある温もりに肝を冷やした。
 いつかの朝、消えていた 彼女の姿。
今度もてっきり、彼女は消えていると思い込んでいた、…夜にだけ現れる、妖精みたい
に。
オレは まるで壊れそうな生卵でもあつかうみたいに、彼女の身体の下から、そっと慎重に
自らの腕を抜く。
 彼女の温もりが 胸から離れる。
…腕は 感覚を失い、だるく痺れていた。そんな左腕を擦りながら 身体を起こし、やはり
彼女に気遣いながら 忍び足でベッドを抜けた。
何だか妙に 甘いような香りが纏わりついている気がして、それを振り払うために 朝から
もう一度シャワーして、出勤の身支度を整えて。…その間中、彼女は目を覚ます気配を
見せなかったので、そのまま 部屋を後にした。

 もしも 彼女が目覚めて出て行けば、この自宅の鍵は 開け放たれたままになるな、と
思ったけれど───…、まぁいい。
この都内では ハイグレードの部類に入るタワーマンションは 日中一階に警備員も常駐
しているし、モニター付きのオートロックだ。
ましてや、盗られて人生に影響が出るほどの物など、突き詰めて考えてみれば 何一つ
ない。
 こうしてオレは いつものように出勤し…、午前中の業務をこなし、顧客と分刻みで やり
とりをし、東京株式市場の動きを 手元のPC画面でチェックし、午後一番で 訪問客を
隣接するビル内のティーラウンジで迎え───…再び社内に戻ったところで、電話を受け
た。
自社ビルの1階 インフォメーションセンターより。
「川原さん、お電話が入っているのですが、お繋ぎしていいのかどうか…、」
「誰からだ?」
「そ、それが───…若い女性のかたで…、とにかく 代わって欲しいと…、」
「名前は?」
「アイザワ様と、」
「……………?」
とにかく 電話の主に繋いでもらう。
「…お腹すいちゃったんだけど………、」
いきなり泣き付いてくる、子供のような か細い声。
「 ?! 」
1秒後、オレはようやく 部屋に残してきた昨夜のノラネコを思い出していた。
「………勝手に帰ってくれ、部屋の鍵は 開いたままでいいから。」
「えー、ダメだよ、だってあたし追われてるもん…、怖くて出られないよ…、」
「じゃあ、テキトーに そこで何か食え!」
少し苛立つ。…仕事中だ。しかもオレの仕事は、刻々と移り変わる 株価との追いかけ
っこ。
「何にもないもん、ここの冷蔵庫。えーん」
えーんじゃないだろう…!ったく!
「…じゃあ出前でも取って 何か食え!出前のメニューは ダイニングのカウンター横にある
チェストの…、」
「無理だよ!だってあたし お金ないしっ、それに出前の人に カオが割れちゃうもんっ」
「だからどーした!」
「ここに居るってバレちゃうよォ、…そしたら見つかっちゃう、ストーカーに…!」
「─────………。」
疲れが一気に、こめかみ辺りに押し寄せた。肩を落とし、デスクで うなだれる。
………何なんだ、何なんだよ、もうっ。
隣りの席の同僚が、「大丈夫か?」 と声を掛けてくる。
「………ねぇ、…お腹すいた………、」
リリカの呟きを無視して そのまま受話器を置き、オレは一方的に通話を終えた。

 この日の予定を、オレは キャンセルしなければならなかった。
もう一件、顧客と合う仕事を片付け、夜までかかる業務を 自宅へ持ち帰る事にして、
退社する。外はもう暮れていて、紫色した空の下、デパ地下で適当に食糧を物色した。
そのままタクシーを拾い、自宅へと急がせる。
この時間帯、都心は どこも渋滞で、オレの疲れは倍増した。
ようやくマンションへ戻ってくる。
 彼女は、ソファでネコのようにうずくまり、眠ってしまっていた。
「─────…っ」
何だか その呑気な寝顔に、余計に苛立ちがつのって、頭痛さえ感じる。…ソファの下、
床にバサリと落ちたままの雑誌。…経済誌。
─────…こんなの読んでたら、そりゃ興味の無い者は たちまち睡魔に襲われてしま
うだろう。

 「………、あれっ、」
ようやく彼女が目を覚ましたのは、それから 2時間後。
オレは デスクに向かい、持ち帰った雑務を あらかた終えたところだった。
「─────…あ、お帰りなさい…」
彼女がソファの背もたれごしに こちらを見て、微笑んでくる。…本当に。まるで子ネコだ。
オレは 眼鏡ごしにチラリと彼女のほうを一瞥し、「キッチンに食べ物 買ってあるから。…暖
めて食え」 と事務的に答えた。
こいつのせいで オレは今日一日ペースを狂わされたっていうのに、彼女は呑気なものだ。
何が 「追われてる」 だ、何が 「ストーカー」 だ………!
緩慢な仕草で 目の辺りをこすり、あくびをしている彼女を横目で見ると、それだけで ます
ます苛立ちが大きくなるのを抑えきれない。
「…まさおみは?ごはんもう食べた?」
苗字ではなく、しかも呼び捨て。
お前は何者だ ?! 何か 勘違いしてるんじゃないのか… ?! 昨夜の殊勝な態度は あの時
だけか ?!
「………まだなら、一緒に暖めるね…!」
「───…ったり前だ、それくらいしろ」
「えーっ?なぁに?あれ、エプロン無いの?」
もうキッチンに移動している彼女は、やっぱり 幼いネコみたいにはしゃぎながら、大喜びで
スモークサーモンやチーズ、サラダや その他のデリカフーズに目を輝かせ始めた。
「ねぇ、デザートは?ケーキは?ないのォ?」
「─────…っ」
また、オレのこめかみがピクリと痙攣した。

「オレ様とプリンセス」−3    Written by; Tamaco Akitsushima